ディレクター、アニメーター、教育者、カナダ国立映画制作庁映画芸術科学アカデミー会員
(カナダ)
イシュ パテルは、カナダ国立映画制作庁での25年間に、数々の優れた短編アニメーション作品を制作・監督した。英国アカデミー賞、2回の米国アカデミー賞ノミネート、ベルリン国際映画祭銀熊賞、アヌシー国際アニメーション映画祭グランプリ、モントリオール世界映画祭グランプリなど数多くの国際的な賞を受賞している。
NHKや英国のチャンネル4とも、アニメーションを共同制作。南カルフォルニア大学映画芸術学部(ロサンゼルス)元終身教授であり、現在、映画芸術科学アカデミー会員。
マハラジャ・サヤジラオ大学芸術学部(インド・バロダ)を卒業後、インド国立デザインインスティテュートおよびスイスのバーゼル・デザインスクール両校の大学院にて、グラフィックデザイン、アニメーションそして写真を学ぶ。
2011年から2017年、シンガポールの南洋理工大学芸術・デザイン・メディア学部にてアニメーション担当の客員教授を務めたイシュ パテルは、実験的なアニメーション制作のためにストップモーションおよびカメラテクニックの設備を整備したほか、革新的なアニメーション制作のクラスを持ち、卒業制作の指導も行った。2011年から2017年、シンガポールの南洋理工大学芸術・デザイン・メディア学部にてアニメーション担当の客員教授を務めたイシュ パテルは、実験的なアニメーション制作のためにストップモーションおよびカメラテクニックの設備を整備したほか、革新的なアニメーション制作のクラスを持ち、卒業制作の指導も行った。
写真にも同時に情熱を抱いている。若い頃、イシュ パテルは、インド各地を撮影旅行していたアンリ カルティエ=ブレッソンの助手を務めるという希有な機会を得たことがある。シンガポール滞在中は、ライカM9を携え、インド、ミャンマー、カンボジア、ベトナム、ラオス、マレーシア、シンガポール、タイ、インドネシア、中国など急速な変化を遂げているアジア諸国への撮影旅行を続け、その結果、2016年には、テームズ・アンド・ハドソン社から写真集『アジアン ライヴス – ア クローサー ルック』(ハードカバー、200ページ)が出版された。
短編アニメーション作品:
「太陽と月のお話(この世を訪れた死の神々)」(1972年)、「パースペクトラム」(1974年)、「ビーズ・ゲーム」(1977年)、「死後の世界」(1978年)、「最優先事項」(1980年)、「パラダイス」(1984年)、「神様がくれた星」(1994年)、「ムーンダスト」(2010年)
アニメーション作家、エストニア芸術アカデミー教授
(エストニア)
1946年、エストニアのタリン生まれ。1970年、タルトゥ大学生物学部を卒業。
プリート パルンは、1960年代末頃から風刺画家およびイラストレーターとして活躍し、1980年代初頭より、フリーランスのグラフィックアーティストとして次第に多くの作品を制作するようになる。過去25年間、ヨーロッパ各国で35回以上の個展を開いている。
1976年から1994年、Tallinnfilm StudiosのJoonisfilmアニメーション部門にて、また、1994年からはEesti Joonisfilm Studioにて、アートディレクター及びアニメーション監督を務める。これまで、プリート パルンは、長さ45分以内のアニメーション13作品および多くの短編映画やコマーシャルなどを制作し、主要な国際映画祭にて80以上もの賞を獲得している。また、2002年に「ASIFA賞」を受賞したほか、さらに5つの功労賞をEtiuda and Anima (ポーランド)、Fredrikstad animation Film Festival(ノルウェー)、Zagreb Anifest(クロアチア)、La Luna di Valencia(スペイン)、Dragon of Dragons Krakow Film Festival (ポーランド)と、異なる映画祭で受賞している。
また、パルンは50以上の国際映画祭で審査員を務め、同じく50以上の回顧上映を世界各地で開催している。
過去28年間、映画学校で教鞭を執る他、フィンランド、ノルウェー、スウェーデン、ドイツ、スイス、スペイン、ベルギー、オランダ、フランス、イギリス、トルコ、オーストラリア、イタリア、ハンガリー、ブルガリア、カナダ、クロアチア、中国、日本などでワークショップを行っている。
1994年、パルンは、フィンランドのトゥルクにおけるアニメーション教育の基礎を築き、2007年まで、トゥルク芸術アカデミーのアニメーション学部にてアーティスティックディレクターを務めた。また、2006年にはエストニア芸術アカデミーにアニメーション学科を設立し、現在、アニメーションの教授を務めている。
2008年よりヨーロピアン・フィルム・アカデミー会員。
アニメーション作家、ウラル州立建築芸術大学教授
(ロシア)
ロシアのノリリスク生まれ。1976年にスヴェルドロフスク建築大学デザイン学部卒業後、インスティテュート・オブ・テクニカル・エスセティックスに勤め、その後、アーティスト及びアシスタントディレクターとして、スヴェルドロフスク・フィルム・スタジオに勤務。映画制作グループと共に、旧ソビエト連邦の各地を訪れている。
1979年から1981年、モスクワの映画監督および脚本家のための上級コース (フョードル ヒートルークとユーリ ノルシュテインのワークショップ) にて学ぶ。 1981年から2002年、スヴェルドロフスク映画スタジオとスタジオ A-FILMにて監督およびアニメーターとして勤める。 1991年より、エカテリンブルクの芸術学校 "Art Etude" No. 1において、民間伝承劇を監督。 2002年より、オクサナは、ウラル州立建築・芸術大学にて教鞭をとり、2004年より、同大学グラフィックスおよびコンピュータ・アニメーション学部長を務めている。
映画分野への功績に対し、ロシア連邦賞受賞。ロシア連邦政府賞受賞。ロシア連邦撮影監督組合会員。デザイナー組合会員。ロシア映画芸術科学アカデミー「Nika」会員。
フィルモグラフィインディペンデント・アニメーション作家
(スイス)
1974年、スイスのベルンに生まれる。
1994-1999年、チューリッヒ芸術大学 映画・ビデオ学部に学ぶ。
1999年、チューリッヒ芸術大学にて学位取得。
現在、インディペンデント・アニメーション作家として活躍している。
アニメーションプロデューサー
(日本)
1941年、宮城県塩竈市に生まれる。法政大学卒業。元・株式会社マッドハウス取締役社長、現・MAPPA代表取締役会長、スタジオM2代表取締役社長。 丸山正雄は、日本のアニメ業界の黎明期からプロデューサーとして活躍している一人である。また、制作現場で手料理を振る舞うことでも知られている。 大学卒業後、フリーターを経て、1965年に知人の紹介で虫プロダクション(旧社)に入社。当時は手塚治虫率いる虫プロによるテレビアニメーションの創成期でもあり、人手はいくらあっても足りなく、寝る間もない状況下の中、制作に関わる。間近で仕事を共にした手塚治虫について、「それまで出会ったことの無い、常識の範疇では考えられない人物」と回顧し、「その魅力に取り付かれ、アニメーションの世界から抜けられなくなった」と語っている。
1972年、虫プロダクションの経営危機に際して出崎統、りんたろう、川尻善昭らと共に独立して有限会社マッド・ハウス(現:株式会社マッドハウス)を設立し、1980年に代表取締役社長に就任(~2000年)。以降、数多くのOVAやテレビシリーズのほか、劇場作品では今敏監督作『パーフェクトブルー』『千年女優』『東京ゴッドファーザーズ』『パプリカ』の企画・プロデュース、そして2006年には細田守の才能を見出し、『時をかける少女』の映画企画を細田に持ちかけ、実現。次作『サマーウォーズ』も担当する等、幾つもの作品に立ち上げから携わる。
2002年、第7回アニメーション神戸特別賞、2003年には、第23回藤本賞奨励賞を受賞した。
2011年6月、原点ともいうべき阿佐ヶ谷にて、アニメーション制作会社・MAPPAを設立。会社最初の作品として渡辺信一郎監督作『坂道のアポロン』を企画。2016年4月には、MAPPA設立メンバーで後進の大塚学に社長を譲り、自身は会長に着任。同時期に「スタジオM2」を立ち上げ、社長に就任した。同年秋には、立ち上げから携わった片渕須直監督の『この世界の片隅に』を送り出した。