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プログラム|8/10sun
> オリンプ・ヴァラシュテアヌとジェオルジェ・スィビアヌ回顧上映
8/10(日)14:15〜 中ホール
オリンプ・ヴァラシュテアヌとジェオルジェ・スィビアヌ回顧上映
オリンプ・ヴァラシュテアヌ
1929年2月16日に生まれたヴァラシュテアヌは、幼い頃から文学や造形芸術に強い興味を示していた。そして1950年は既に、ブフテアのフィルム・スタジオ・ブカレスティでアニメーターとしての活動を開始していた。
ルーマニアで初めてダンボールの切り抜きを使ったアニメーションを作ったのは、ヴァラシュテアヌである。後に、この技法は他のアニメーターにも取り入れられることになった。後にアニメーション芸術の中心として大きな発展を遂げた、スタジオ・アニマフィルムの創設者の一人であると共に、ルーマニア映像業界労働者協会(ACIN)の設立にも尽力した。この協会は後に、映画業界労働組合に発展した。
40年以上に亘る芸術活動の中で残した作品のいくつかは、初期の段階から人々の目に留まり、国内外の賞を受賞している。1964年「Cotidiene (毎日の出来事)」がママイアの映画祭で受賞、1969年には「Variatiuni (バリエーション)」がヴェネチア国際映画祭で栄えある銀獅子賞を受賞している。「Cosmarul (悪夢)」や「La scaldat (水浴) 」がバルナ国際アニメーションフェスティバル(ブルガリア)で、「Fabule antice (昔話集)」がリール(フランス)でコンペティション上映作品に選ばれた。各地のアニメーションの映画祭では、フランス、ベルギー、イタリアなどの著名なアニメーション作家達との親交を深めた。
1970年にアメリカのハンナ・バーベラ・プロダクションのスタジオを訪れた際には、彼の評判を聞き及んでいたプロダクションの人々から声をかけられ、そのまま残って仕事をする誘いも受けた。戦争や、人間の営みの闇の部分を描き、平和や人道といったメッセージにあふれた、1981年の作品「Sa nu uitam (忘れてはいけない)」は、フランスのアヌシー国際アニメーションフェスティバルでコンペティション上映作品に選ばれた。
2007年10月18日、類稀な才能と数々のアイデアを映像という作品にこめて我々に残し、オリンプ・ヴァラシュテアヌ氏はついに帰らぬ人となった。
ジェオルジェ・スィビアヌ
1927年9月19日に、Ilisesti (スチャヴァ)に生まれ。ブカレストの美術大学を1950年に卒業後、ルーマニアの人形アニメーター、ボブ・カリネスクの作品で、シナリオ・ライター兼助監督として働き始めた。人形を使った映像の芸術性に魅せられたスィビアヌは、その後益々その世界に深く入り込んでいくことになった。
監督としての初作品は1957年の「Negrita’s Island」である。スィビアヌ氏は、国内外のアニメーションフェスティバルなどで数々の賞を受賞している。1968年には、「 Prostia omeneasca(愚かな人間)」が、ママイアのフェスティバルでゴールデン・ペリカン賞を受賞、1971年のギジョン国際少年映画祭(スペイン)では「Campul(畑) 」が特別賞を受賞した。
国内やフランスで開催された、一般や子供向けの上映の催しにはよく仲間と一緒に出かけたが、アニメーション監督としてのスィビアヌ氏はどこでも最大の評価を受けた。「Prostia omeneasca(愚かな人間)や「Campul(畑)」などの作品中で彼の人形がかもし出す個性とユーモアは、制作から長年の月日がたった今でも我々の目を楽しませてくれる。
スィビアヌ氏の作品の優秀さは言うまでもありませんが、彼の作品には更に、我々の気持ちを明るく、楽観的にしてくれる力が宿っているようである。
(ジェネヴィエヴ・ジェオルジェスク−オブレチェア筆)