広島に戻れることを、とても嬉しく思います。
かつて広島を訪れた際、いつの間にかこの素晴らしい街の大ファンになっていました。ここでの人々の暮らしぶりは、日本の他の都市と変わらず、ありふれた普通の生活のように見えます。それはまるで、過去の歴史を気にも留めていないかのように、そして、訪れる旅人たちを悲しませまいとしているかのように。広島の人々のもてなしにより、旅人たちはしばし警戒心を緩め、かつてどんな恐ろしい出来事が広島に起こったのか、その美しい景観やショーウィンドウ、明るい笑顔や激しいセミの鳴き声の裏にどんな忌まわしい記憶が隠れているのか、もう少しのところで忘れてしまいそうになるのです。そして、突然はっとさせられます。なぜなら、存在の脆さや生命力の粘り強さを自ずと感じ取るからです。ここ広島の地を訪れる人々は、そういった感情に無関心でいることは出来ません。
だからこそ、木下蓮三氏と木下小夜子氏はここ広島で、「愛と平和」を精神とするフェスティバルを創設したのです。しかし、これだけの長きに亘り、フェスティバルの精神が生き続けることを、当時、お二人は想定していたでしょうか。彼らは、ただひたすら夢を追い続け、日本のアニメーターたちが世界中の仲間と出会えるよう、粘り強く労を尽くしてきたのです。そうした出会いは、日本のアニメーション界の発展に寄与し、アメリカやヨーロッパ、アジアの優れたアニメーションに触れる機会を日本の観客に提供し、そして、後に著名になる無名の監督たちを発掘してきました。広島での公開コンペティションは、今や世界のアニメーション界の最大関心事のひとつとなっています。蓮三氏亡き後もフェスティバルは長年続いています。その発展は、フェスティバル・ディレクターである小夜子氏とフェスティバルスタッフたちの尽力、また広島市の多大な支援のおかげです。広島国際アニメーションフェスティバルは広島市のシンボルの一つともなり、人々を結びつける創造的なアイディアや、制作者の自由と責任、そしてフェスティバル創設に込められた平和への願いに対し、誠実であり続けています。広島はアニメーションの若手作家たち、そして巨匠たちを惹きつけるハブとなっており、彼らの間の対話は、私たちにとって大切で欠かせないものです。フェスティバルの主催者とその運営スタッフの尽力に感謝しましょう。彼らのおかげで、私達は広島での心温まるもてなしと相互理解の喜びを、家に持ち帰ることが出来るのですから。
広島での思い出が、私たち皆の心に残ることを信じています。
皆様のご繁栄とご多幸をお祈り致します。
国際名誉会長
アレクサンドル ペトロフ
アレクサンドル ペトロフ(ロシア)
画家、監督、アニメーター、脚本家
1957年、ヤロスラヴリ州生まれ。1976年、ヤロスラヴリ芸術学校卒業。1982年、モスクワの全ロシア映画大学アニメーションフィルム芸術家専攻卒業。1981年から1982年まで、エレバン市の映画スタジオ「アルメンフィルム」で美術監督を務めた後、1982年から1986年まで、スヴェルドロフスク映画スタジオで美術監督を務める。1989年、映画学校「脚本家・映画監督のための上級コース」アニメーションフィルム監督専攻を卒業。
初期の監督作品をスヴェルドロフスク映画スタジオで制作。1992年、ヤロスラヴリへ転居。同地で1995年に設立した映画スタジオ「Panorama」及び2001年に創設した社会組織「Alexander Petrov Studio」を現在も運営している。米国アカデミー賞受賞作『老人と海』を制作するため、1996年から1999年までモントリオールに居住。アニメーション制作には、主に「ペイント・オン・グラス」という技法を用いている。